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2015年4月17日 (金)

子ども支援の回遊魚

回遊魚のマグロは泳ぎを止めると死んでしまうと言われます。
おそらく、私もそういった類の生き物なのだと感じています。
子ども支援から離れると、息苦しい気持ちになります。

子どもが苦しむのは、全ておとなの責任です。
知っていて社会を変えないのは、知らないよりも罪なことです。
どうしたら社会が良くなるかを考えると、一秒たりともじっとしていられないです。
子ども支援の回遊魚です…。
遠回りしてでも、やるべきことはやり遂げたいと思います。

2013年2月10日 (日)

社会の欺瞞・おとなの責任

 先日、昔からの友人から「子どもが学校を休んでいる。どうしよう?」という相談がありました。

親の立場だと、いろいろなことを心配しますね…(-_-;)

 いろいろな相談を受けますが、「子ども自身の課題というより、社会(おとな)の在り方の問題」だと思うできごとがとても多いのも事実です。

おとなの声に耳を傾けて一生懸命生きている子どもたちほど社会の欺瞞に気付き、「苦しい思い」を抱きやすい気がします。それは、彼・彼女の責任でしょうか?われわれおとなの責任だという気がしてなりません。

「責めること」は解決ではありません。われわれ一人ひとりがどう生きるか?が問われている気がします。

日本中のいろいろな現場で真摯に生き、子どもや家族と向き合っているたくさんの仲間の姿勢に勇気づけられます。私も「真摯に」今やるべきことに集中します。

2013年1月24日 (木)

専門性を身につける。

先日、研修を受けに行きました。

そこで、意識を高く持つことの大切さを再確認しました。

『「資格」はゴールではない。磨き続けなければ、専門性は身につかない。

 自分自身が専門職であるかどうかを常に確認し、専門職としての「仕事」をしなければいけない。

 常に前を向いて、次の課題を明確にして進まなければいけない。

 子どもの頃に最も嫌いだった「口先だけのおとな」になっていないだろうか?』

2013年は始まったばかり。

どういう意識で1年を送るかで、その後は大きく変わってくると思います。

2013年1月19日 (土)

「あきらめないことが大事」

 「夢を追う」のは簡単ですが、「夢を追い続ける」のは大変なことです。

 子どもの頃の私は、夢の全く無い子どもでした。小学生の頃、将来の夢を聞かれ「どうせサラリーマンになるんでしょ?」と、そんな冷めたことを言っていた子どもでした。中学生になってからは「それが社会の仕組みだから…」と、ひたすらに勉強だけをしているそんな子どもでした。そして、その後も自分の生きる道が思い描けずに、就職してそこからドロップアウトするまで、無理してでも走り続けようとする自分がいました。

 20代半ばで違和感を感じて会社を辞め、自分の生きる意味を必死に考えました。いろいろな本を読んで、いろいろな場所に足を運んで、いろいろな仕事をして、いろいろな人に会って、いろいろと悩みました。5年間にも亘る模索の日々でした。

 でも、悩み続けられたのは、20代半ばの模索の中で、自分の中に大きな核を見つけることができたからだと思います。それがあるからブレることなく、前に前に進んでくることができたのだと思います。

 夢を追い続けるためには、自分自身の「核」=「信念」のようなものが必要です。それは「使命」や「役割」や「哲学」と言い換えることもできるかも知れません。これを見つけるためには、ひたすら自分自身と向き合うしかなく容易いことではありません。

 けれども、信念だけでも夢は叶いません。「あきらめない」ということが並行して重要になります。どんなに夢に近づいていても、あきらめてしまったら結果的にはゼロです。苦しくても苦しくてもあきらめなければ、最後の最後には叶うかもしれません。成功も失敗も紙一重だと思います。

 まだまだこれから、夢を叶えるためにあきらめず進み続けます。

2013年1月 9日 (水)

成長のサイクル

 「成長のサイクルの中に常に身を置きたい」そんなことを感じています。

この4年間ずっと学びを続けてきました。それは正直、とてもとても大変なことでした。

でも、学びの習慣をつけてしまえば、隙間時間を使ってスキルアップしていくことは、当然のことになっていくのかも知れません。

そう考えると、学びの習慣を途切れさせてはもったいないと思ってしまいます。

年々学びたいことが増えていきます(笑)。

今は少なくとも4つの分野について学びたいと思っています。

どこまで実現できるかわからないですが、成長のサイクルの中に身を置きます。

何かの本で「人と同じことをしていたら、同じことしかできない。何か一つでも毎日学び続ければ、大きな差につながる」というような内容が書いてあったことを思い出します。

私は、他人と競う気はさらさらないですが、「良い関わりを模索すれば自然と学びにつながる」と感じています。

自分のすべき役割を自覚し、全力を尽くすこと。それがおとなのやるべきことだと思います。

2009年8月10日 (月)

目指すもの

「最終的に目指すものは何か?」

とある講座で知り合った仲間からそんな質問をもらいました。
普段色々と考えてきたつもりですが、こうして改めて聞かれてちょっと考え込んでしまう自分がいました。数年前なら答えられたかも知れないこの問いに対して、今ははっきりとした答えを出せずにいます。色々と考えて出てきた返事は、

「結果ではなく過程だと思っています。無責任なオトナたちに背中で語れるようになりたいですね。日々全力投球で人生を走りきります。子どもたちの幸せのためにできることはすべてやる覚悟です。」

 目指すものは形のあるものではないんです。心の在り方に関する部分が一番大きいように思います。
 確かに20代の頃には「(新しい)学校を作りたい」という強い思いがありました。しかし、色々な新しい学校に関わり、様々な苦しみを抱える子どもたちに出会う中で、自分の中のゴールではなくなっていきました。新しい場所も大切だけれど、自分の思いはそこで存分に発揮できるものではないと、気づいてしまったからです。幸いなことに新しい学びの場所は増えてきています。自分の役割は別なところにあります。

 では、自分の役割はどこにあるのでしょう?何を目指しているのでしょう?
 うまく表現できないのですが、「目指している」というのではなく、「そうせざるを得ない何かが自分を駆り立てている」という部分が大きいです。確かにその結果として、「こうなったらいいな」という想像はいくつもありますが、そうならなくても一向にかまいません。むしろ自分自身が日々、瞬間瞬間、何ものにも魂を売り渡すことなく生きていたいという部分が大きいのだと思います。
 たくさんの子どもたちと関わる中で、教育というアプローチを離れる必要性を感じました。別の角度から子どもたちを応援していけないかと。そういう思いで、ここ数年色々な講座や研修を受け、たくさんの本を読んできました。ようやく自分の中で様々な手段が繋がってきています。

 いま改めて答えるとすると、目指すものは「オトナとしての自分の在り方を研ぎ澄ますこと」です。

2008年9月 4日 (木)

子どもに寄り添う職業

 いま、日々子どもたちと関わって生きています。しかも、長年求めていたけれどなかなか辿り着けなかった形で、子どもたちと関われています。それは「寄り添う」という形です。言葉にすると簡単ですが、それを実践できる職業に私はなかなか辿り着けませんでした。スクールソーシャルワークという概念に出会うまでは…。私は「スクールソーシャルワーカー」という関わりはまさに子どもに寄り添う職業だと認識しています。

 大学時代教職を取りました。そこで教師になるという選択肢はなくなりました。現在の「学校」という枠組みでの「教師」という関わりに魅力を持てなかったからです。なかでも「生徒指導」という科目にはものすごい違和感を覚え、教授に納得行かない思いをぶつけたこともありました(汗)。それでも子どもと関われる道を探していました。
 
大学を卒業して大手の進学塾に就職しました。民間だからこそ企業だからこそ、そこでできる役割があるのではないかと考えました。でも実際には子どもたちを駆り立てたり焦らせたりする仕事でした。「受験」という一つの困難を人生の一大事のように扱って、子どもに群がるおとなに違和感を覚えました。
 「指導」という形ではない関わりはどこにあるのか、それを探して辿り着いたのは「フリースクール」でした。幾つかのフリースクールを見て回り、関わりもしましたが、
自分自身が心の底から納得できる関わりは得られませんでした。
 そうして何年も何年も模索を続けながら生きていた私は、偶然「スクルーソーシャルワーク」に出会いました。きっとその時こそがタイミングだったのでしょう。驚きと喜びを感じたあの時を今でも鮮明に覚えています。

 そこはゴールではなく、新たなスタートです。子どもたちがより良く生きていくためにできることを、もう一度本気で考えていこう!後悔しないために、おとなとしてすべきことに取り組もう!そう決意しました。
 困難もあるけれど、子どもたちと関われることに感謝して日々を送っています。

2008年9月 2日 (火)

もがくこと

 お盆を過ぎて少し涼しくなりましたが、また暑さがぶり返しています。まだまだ残暑が続きそうです。気温の変化があり、夏の疲れも出る頃なので、皆様お体には気をつけてお過ごしください。

 仕事をしていて思うように行かないとき『苦しい』と思うことがあります。でも、それは自分にとってとても必要な経験なのだと思います。『困難』を乗り越えることで初めて見えてくるものがあるからです。人間が自分の一度きりの人生でできる経験など高が知れています。もちろん読書や講演など人の経験から学ぶこともたくさんあります。けれども、やっぱり自分で経験していかないと、本当の意味でわかったということにはならないように思います。
 困難や葛藤の中にいて試行錯誤することは、とても人を成長させます。困難を回避することは結構容易いことだったりします。なので、まずは全力でぶつかって試行錯誤してみて、ダメだったら方向転換すれば良いと思います。私は苦しさの中にいるとき、それを楽しむだけの余裕を持とうと意識しています。そして目の前の苦しさの奥にある『自分の課題』を明確にします。すると、今どうするべきなのかが見えてきたりします。
 『もがくこと』それは私にとって問題解決の一つの重要な方法です。

2008年8月26日 (火)

食についてのつぶやき

 食については多少こだわりを持っています。「手作り」「無駄にしない」「安い」そんなことを心掛けています。そういう思いでいると自然と保存食などを作ることが多くなります。「ピクルス(かぶ、にんじん、キュウリ、タマネギ)」「生姜の甘酢漬け」「大根(にんじん)の皮の醤油付け」などはとても重宝しています。本当は「らっきょう」も漬けたいのですが、今年はできませんでした。
 あとはこの夏は「紫蘇ジュース」が大活躍しました。果実酒(レモン、オレンジ、キウイ、バナナ、巨峰、イチゴ、ピンクグレープフルーツ、イチゴ、梅、すもも)もあるのですが、私の場合飲むよりもあげる方がメインになっています。どうやらお酒はそんなに好きではないようです。でも、胡桃(くるみ
)酒とか漬けてみたいなぁと密かに企んでいたりします。
 料理では「季節の野菜」を美味しく頂くことを意識しています。今年の夏は実家からプチトマトの苗をもらってきたので楽しく美味しく食べています。できたらもう少し自分で育てられたらなぁとも思っています。特にいまは水耕栽培が気になっています。

 でも食の基本はやっぱり外食しないできちんと手作りすることですね。これから秋になると「茄子」も「きのこ」も美味しいですね。それだけでなんだかとってもワクワクします。

2008年8月17日 (日)

中央道を通って…

 ここ数日間、私的な都合で出かけていました。私は遠出をする時には高速バスを利用することが多いです。長時間座ったままの姿勢というのは体への負担は大きいのですが、経済的な面では随分と助かります。今回は体のことを考えて、枕、クッション、ひざ掛けも用意して準備万端でした。しかし、なぜか眠れない深夜の中央道…。仕方が無いので、一人物思いに耽りながら朝を迎えました。

 「中央道」はここ数年間色々な思いと共に通ってきた、まさに「思い出の道」です。色々な思いを抱えて、色々な立場でこの道を通ってきた自分を振り返ります。数年間のうちに色々な立場の変化がありました。でも今改めて思い返してみても、思いはひとつでした。「真に子どもの為に」それをいつも意識しながら生きてきました。中央道を通るたびに、自分の思いと成長が確認できます。今では、あの頃の自分に恥じない生き方をしているだろうか?と、自分を振り返る良い機会になっています。

 今回の旅では、見知らぬ土地の山を見て、海を感じて、空気を吸ってきました。そして人の温もりを感じて、美味しい料理を食べて、大切な言葉を胸に刻んで帰ってきました。知らず知らずのうちに涙が溢れていました。たくさんの人にありがとうの気持ちでいっぱいです。
 私が今までの人生で自ら遠ざけてきたものを、改めて噛み締める貴重な機会になりました。ようやく自分の側の準備が整ったということでしょうか?長い長い準備期間でした。でも、おかげで今まで感じなかった多くのことを感じることができました。

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