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2007年8月23日 (木)

「不幸」のやめ方

 「強くなれ」とか「負けるな」という根性論は苦手です。けれど人それぞれなのでそれが良かったという人がいることも間違いない事実です。でも自分はそう言われるのも言うのも苦手です。だから親御さんや子どもたちと接していても「負けるな」という根性論で話をすることはありません。そういうスタンスでは生きていません。そもそも人生を競争とか勝ち負けで見ていないので、当たり前と言えば当たり前なんですけどね…。私からしてみればどうして競争という発想が出てくるのかそれ自体が不思議でなりません。
 だから「勝ち組・負け組」とか「ニート」とかそういう言葉にも強烈に違和感を覚えます。だって人生に勝ち負けなんて存在しないじゃないですか?百歩(いやいや百万歩くらい)譲って仮に勝ち負けがあったとして勝ち負けというものは社会が決めるものなのでしょうか?そう言われ続けるからそういうものがあるような錯覚に陥るだけで、そんなものは存在しないのではないでしょうか。自分の人生は他人が決めるものではありません。本人の心の持ち方ひとつでいくらでも幸せになれます。それは間違いないです。
 例えば勝ち負けという見方で言えば、私なんか負け組中の負け組です。けれど「貧しい」とか「不幸」とか「負け」なんて感じることは全くと言って良いほどありません。むしろ生き方で言えば年収500万あっても毎日愚痴ばかりのサラリーマンより遥かに幸せです。まあ私は比べるつもりもないですが…。それに、そういった一面的な定規で測ればほとんどの人が不幸になります。けどそうやって「負け」というレッテルを貼ることに何の意味があるというのでしょう?理解に苦しみます。
 自分の人生の価値は自分が決めるものですし、自分でしか決められないものです。その大事な判断を人に預けるから、「不幸」という錯覚が生まれるのです。人から「不幸」と言われ続ければ不幸でなくても不幸に感じてくるものです。人生はあくまでも自分のものなのです。

 多くの物事は自分の力で何とかすることができる場合がほとんどです。そう考えると「不幸」が存在する余地が少なくなっていきます。人生はその瞬間瞬間を自分がどれだけ真剣に選び取ったかの結果です。自信を持って選び取った結果であれば大変な事態であっても受け入れることができ、不幸という発想にたどり着くことは減ってきます。「不幸」という生き方をやめた時、そこにはたくさんの可能性が待っています。

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